講義する力を育てる

 先日、教会で原理講師の能力を測定する講義試験が開催されました。「原理講師養成研修会」という企画だったのですが、岡山・兵庫・鳥取教区から12名が講義の審査を受けました。神様のみ言葉を語るというのはとても神聖なものですが、そこに統一原理を論理的にわかりやすく講義するという能力が問われます。それだけでなく相手の心に感化を与える呼唱力や、品位よくしかも毅然とした態度で語る堂々さなども名講師の条件にあたるものでしょう。

 今回は家庭連合本部より可知雅之特別巡回師を審査官としてお迎えし、それぞれの教会の現場でどのような原理講義がされているのか、講義を担当している講師の実力はどれくらいのレベルなのか、それらを把握するために実施されました。人を教育するのが講師の役目ですが、今回は逆に可知先生から指導を受けるばかりで恐縮し切りの1日になりました。(-_-;)

 原理の骨子を外れず、難解な事象もわかりやすい的確な解説を加えて講義する。もちろん聴講者を若者と想定して、理論を詳細に伝える。ただその中にも神様の心情を伝えようと努力する。学問を講義するのと違って、み言葉を講義するのは全身全霊の力を使って挑むので、講師たちの鍛錬になります。人を教育する立場だからこそ、もっといい講師を目指そうと努力しないといけないのです。よく先輩講師たちに話を伺うと「経験が邪魔をする」と聞いたことがあります。統一原理や聖書の研究は怠らない。しかしそれを講義する日常では、慣れた技術で語れてしまう。聴く人がどんな人であっても、常に新しい気持ちで理解しやすいように親身になって語る。これを忘れてはいけません。日々み言葉を愛し、生活の中で原理の素晴らしさを体感し、それを堂々と語れるように準備しておかないといけませんね。可知先生から講義箇所の細かい解説をいただきながら、講師同士が互いに切磋琢磨できた貴重な1日になりました。